スレッド名: 酩酊上人のご法話集 投稿者: al-fasa より 2月 17, 2011, 08:59:55 午後 とある携帯のゲームの掲示板で連載しているお話、掲示板が流れてしまうとスレ主が忘れるので、記録も兼ねてこちらにアップします。
とかく誹謗中傷、罵詈雑言が飛び交うネットの中で、こういうキャラもありなのでは…ということで続けております。 尚、当人がいよいよ気がふれたとかイっちゃったわけではありません。いたって正常です 御覧のとおり三日坊主、飽きっぽい性格のスレ主が、毎日更新し続けている稀有な企画なので、これはひょっとすると、ひょっとするかも?(←なにがだ ;D)なお、こちらの更新は不定期です。また、一部加筆修正いたします。 ちなみに、こちらのスレの更新に伴い、既存のスレの更新はありません。あしからず スレッド名: 酩酊上人のご法話1 投稿者: al-fasa より 2月 17, 2011, 09:03:18 午後 “陰雲霧不動山 紛欲情不喪心”
雲や霧に隠れておっても、山はそこから動かぬものですじゃ。 たとえ様々な誘惑があっても、絶対に心を喪ってはなりませぬ。 心を強く保ちなされ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話2 投稿者: al-fasa より 2月 18, 2011, 07:43:38 午後 “あなたはすでに持っている”
他人と比べると、 “自分にはあれも無い、これも無い…”と劣等感を抱きますのじゃ。 所詮自分と他人はお役目が違います。 “比べる無かれ” あなたはすでに持っておりますのじゃ。他人が決して持てぬ、かけがえの無い宝を スレッド名: 酩酊上人のご法話3 投稿者: al-fasa より 2月 19, 2011, 08:29:07 午後 “生きるということ”
「♪だからぼくらは生きる~♪」 腐男塾の曲じゃが、良い歌ですのぅ…フォッフォッフォッ…コホン… 「天上天下唯我独尊」 お釈迦様がこの世にお生まれになりました際、東西南北を七歩ずつ歩かれて、天と地を指差しこう叫ばれたそうじゃ。 これは、お釈迦様の教えが絶対的で尊い存在…という意味ではなく、 この世に生きとし生けるものは、皆全てが尊くかけがえの無い存在なのじゃ。 ゆえに、「ひとたびこの世に生を受けたならば、一生懸命にその生を全うしなさい…」 …というお釈迦様の根本的な教えなのですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話4 投稿者: al-fasa より 2月 20, 2011, 09:08:18 午後 “下座行”
本日は、下座行のお話をいたしましょう。 他人よりへりくだった低い目線で行なうご修行を“下座行”と申しますじゃ。 例えば“掃除” 床磨き、雑巾がけ、厠の掃除。 人の嫌がること、普段やらないようなところを綺麗にする。そこに修行の意義がございますのじゃ。 また、顔近づけることで“気づく”汚れもありますでのぅ。 実は、この“気づく”ことが、豊かな人生を“築く”糧になりますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話5 投稿者: al-fasa より 2月 21, 2011, 07:45:11 午後 “快楽と極楽”
お金で買える幸せを“快楽”と申しますじゃ。 お金で買えない幸せを“極楽”と申しますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話6 投稿者: al-fasa より 2月 22, 2011, 06:17:04 午後 “日日是好日”
“晴れて良し 曇りても良し 富士の山” 良く晴れた日は勿論、雨降りの日とて風情がありますのじゃ。 笑って過ごすも1日 泣いて過ごすも1日 同じ一日なら、笑って過ごしたいものですのぅ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話7 投稿者: al-fasa より 2月 23, 2011, 10:50:40 午後 “仕事”とは?
“仕事”とは、“貢献”。それを成すことで天下国家、社会のためにならなければなりませんのじゃ。 社会のためにならない“仕事”は“犯罪”にすぎませんのじゃ。 “仕事”とは、“使命”。 “使命”無き仕事は“作業”にすぎませんのじゃ。 “仕事”とは、“楽”。 “楽”無き仕事は“苦労”にすぎませんのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話8 投稿者: al-fasa より 2月 27, 2011, 11:39:09 午後 “参拝の作法”
本日は、寺社仏閣への参拝の作法をお話いたしましょう。 …なに、作法といっても難しく考える必要はありません。 寺社仏閣での参拝では、願い事をせず、神仏に今日までの無事息災を感謝申し上げること… それだけですじゃ。 “願い”とは、あるいみ“欲望”であって、その満たされぬ想いが口に出るのが“願い事”ですじゃ。“愚痴”と余り変わりませんのぅ。 神仏とて、“愚痴”を聞かされるのは余り良い気がいたしませぬものですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話9 投稿者: al-fasa より 2月 28, 2011, 08:50:27 午後 “日々新た”
「日に新た 日々に新たに また日に新たなり」 中国・殷の湯王が毎朝洗顔に使う石盤に彫らせた一文ですじゃ。 さてさて…朝、洗顔の際に鏡に映りますお顔は、先年、先月、先日よりも良いお顔をされてますかのぅ? スレッド名: 酩酊上人のご法話10 投稿者: al-fasa より 3月 07, 2011, 11:16:07 午後 誰ですか?
「もう飽きたのか、この三日坊主め」 なんて言っているのは ;D 大丈夫です。まだ本編は続いています。(今74話目) “金粉は人糞に如かず” 少々下品な話になりますが、おめでたい席で“金粉”入りの酒や食事が振舞われますのぅ。 勿論、その金粉をかき集めたとて、固めてもたいした量にはなりませぬ。それに、実は“金”は体内に入りましても全く吸収されること無く、対外に排泄されてしまうそうですじゃ。 体内で吸収されないということは、自然界でも分解されずにそのまま残るということで素じゃ。 そう考えますと、まだ人糞は畑にまけば肥料になりますでのぅ、金粉よりは役に立ちますのじゃ。“虚飾”ほど無駄なものはありませぬのぅ スレッド名: 酩酊上人のご法話11 投稿者: al-fasa より 3月 08, 2011, 08:12:52 午後 「夢のかなえかた」
人は誰しも「夢」を抱きますのぅ。 「大金持ちになりたい」 「スターになりたい」 「サッカー選手になりたい」 …勿論、あなたが抱く「夢」の実現のためには、人並み以上の努力が必要ですじゃ。 しかし、それだけでは足りませんぞ。 必要なのは、「あなたがその夢を実現した時に、(その夢を通して)社会に何を貢献できるか」を具体的にイメージすることですじゃ。 逆に、私利私欲を満足させるためだけの「夢」じゃとしたら、それは夢ではなく単なる「欲望」に過ぎませんのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話12 投稿者: al-fasa より 3月 10, 2011, 09:36:57 午後 「志」
「志」は「士」の「心」と書きますじゃ。 “武士道は死ぬことと見つけたり” ちと誤解されておりますがのぅ、これは何も命を粗末にすることではなく、「天下国家のために、一命を賭す覚悟で、己の本分を尽くす」…ということですじゃ。 「志」を果たすために、己の行為、努力が自らの為でなく、社会、国家の為に成っていく。これが「事に仕える」、すなわち「仕事」というものですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話13 投稿者: al-fasa より 3月 13, 2011, 10:46:45 午後 “精神の敗北”と“知性の敗北”
危機を前に、座して批判するは“精神の敗北”じゃ 学びて後、それを活かさざるは“知性の敗北”じゃ 行動あるのみですぞ スレッド名: 酩酊上人のご法話13 投稿者: al-fasa より 3月 16, 2011, 10:08:30 午後 「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」
大阪商人の日常的挨拶。実はこのなかに、商人の町大阪らしい真理が隠されておりますのじゃ。 商売は良くも悪くもお客様次第。 「もうかりまっか?」に対し、実際に繁盛しているからと言って 「儲かりまっせ」 …では、傲慢に聞こえますのぅ。 逆に暇で全然売上が行かないからといって、お客様に対し 「暇やねん」 …では、お客様に愚痴をこぼしているのと同じですのぅ。 「ぼちぼちでんな」には「お陰さまで」の心が隠されておりますのじゃ。 繁盛はお客様のお陰。例え暇でも来ていただいたお客様に感謝する。人は感謝されれば、また感謝されるようなことをしたくなりますのじゃ。 生き方もまたしかりですじゃ .... スレッド名: 酩酊上人のご法話14 投稿者: al-fasa より 3月 19, 2011, 08:53:51 午後 「心のキズ」
人に感謝する。人を褒める。尊敬する… 他者を肯定するたびに、心は少しずつ暖まりますのじゃ。 逆に、人を怒る、怒鳴る。人に愚痴を言う。人の悪口を言う… 他者を否定するたびに、心に少しずつ小さなキズが付きます。 眼鏡のレンズに小さなキズが付くと視界が曇るように、 心に小さなキズが付きますと、心もまた曇りますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話15 投稿者: al-fasa より 3月 20, 2011, 06:53:59 午後 「欲」
“有欲は無欲に如かず” 西郷隆盛の残した言葉 「命もいらず、名もいらず、官位も金も要らぬ人は、始末に困るものなり(無欲な人は金品名誉に惑わされないし、死すら恐れない)」 上に立つものはこれくらいの覚悟が欲しいものですじゃ。 “無欲は寡欲に如かず” しかし、西郷さんの言葉に続きがござって 「この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」 いくら無欲でも、国を、社会を、家庭をこうしたい…位の「志」は持たねば、ただの“無気力”ですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話17 投稿者: al-fasa より 3月 22, 2011, 10:38:39 午後 「謙虚」
事に当たって、万事自己主張を押し通そうとすれば必ず壁に当たりますのじゃ。 時に自分の考えと正反対の意見、考え方を取り入れてみる。 それが、たとえ自分より地位が下の者の意見であったとしても。 「すべてから学ぶ」 この姿勢が「謙虚」であり、松下幸之助翁が唱えた「素直な心」ですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話集18 投稿者: al-fasa より 3月 23, 2011, 10:30:41 午後 …あたりまえといえばあたりまえだが、一日に複数上げないと、本編に追いつかないことが判った ;D
「謙虚(素直)な心になるために」 口で言ってもなかなか難しいものでしてのぅ… まず形から入ること 「謙虚な姿勢」から入ってみてはいかがかのぅ? 「姿勢」は「姿」の「勢い」と書きますでのぅ。「謙虚な姿」を体現すれば、勢い心もついてくるものですじゃ。 …では「謙虚な姿勢」とは? 己が山に登っている姿を想像してみなされ。ふんぞり返っておっては、山には登れませんからのぅ スレッド名: 酩酊上人のご法話19 投稿者: al-fasa より 3月 23, 2011, 10:38:04 午後 「続・謙虚な心になるために」
以前「下座行」の話をいたしましたのぅ(ご法話4) まさにこの「下座行」は「謙虚な心」を養うのに最適ですじゃ。 できるだけ「我」を張らず、 できるだけ人に「譲り」、 人の嫌がることを率先して行なっておりますと… 不思議なもので心が落ち着き、 めったなことで腹を立てなくなりますぞ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話20 投稿者: al-fasa より 3月 23, 2011, 10:43:20 午後 「譲る」
先哲曰く 「終生路を譲るも百歩を枉(ま)げず」(例え一生涯路を譲り続けたとしても、その歩数は百歩を越えるような事はない) 「我」をはり、欲張ることは心を弱くします。 欲張ることで相手は気分を害し、 自分もまた、欲張った割には得るものがたいしたものでないことが往々にしてありますのぅ。 「譲る」ことで、相手は喜び感謝する。 感謝されれば自分もまた、気持ちよいものですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話21 投稿者: al-fasa より 3月 23, 2011, 10:47:51 午後 「善行」
先だっての大地震で、都心の電車がすべてストップしたとき、駅の構内で座り込む女性に、路上生活者が 「下に敷くと暖かいから」 と持っていたダンボールを差し出したそうじゃ 「善行は、人の微笑をさそうこと」 貴賎、地位に関係なく誰にでも、すぐにできるすばらしいご修行のひとつですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話22 投稿者: al-fasa より 3月 26, 2011, 09:38:27 午後 「陰徳を積む」
よく、企業が“収益の一部を寄付に当てている” などの宣伝を目にします。 それ自体はすばらしいものですが、 本当の善行とは “人が見ていようと、見ていまいと行なう” あるいははじめから “見返りを求めない行為”そのもの が“善行”というものではないかのう スレッド名: 酩酊上人のご法話23 投稿者: al-fasa より 3月 26, 2011, 09:44:30 午後 「パワースポット」
全国のパワースポットをめぐるたびが流行っております。 今日は、一番身近なパワースポットをお話いたしましょう。 一番身近なパワースポットは「自分の家(部屋)」ですじゃ。 ちゃんと掃除していますかぅ? 掃除が行き届いていない部屋には“邪気(鬼)”漂ぅておりますからの。 パワースポットに出かけても、自分の家に、部屋に邪気(鬼)を住まわせておってはだいなしですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話24 投稿者: al-fasa より 3月 27, 2011, 08:39:33 午後 「掃除は神事」
寺社仏閣では、年末に「すす払い」を行ないますのぅ。 あれは、埃や汚れを払うだけではなく、一年間のうちにたまった邪気を「祓う」意味合いもありますのじゃ。 家(部屋)掃除もまた同様。一番効果的なのは、箒で窓から埃を掃き出す(邪気を祓い出す)ことですじゃ。 掃除機をお使いなら、フィルターをこまめに綺麗にすることがよろしかろう。 掃除機はゴミを吸う、すなわち邪気を吸い込みますからな。くれぐれもゴミ(邪気)を溜め込まないことですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話25 投稿者: al-fasa より 3月 27, 2011, 08:46:32 午後 「心は転がる」
“コロコロ転がる”から“こころ”と申しますのじゃ。 “こころはコロコロころがります ビクビク、イライラしていると 悪いほうへ悪いほうへ 暗く嫌なことばかり浮かびます こころはコロコロころがります ウキウキ、ワクワクしていると 良いほうへ良いほうへ 明るく良いアイデアも生まれます” 心の性質を知ってしまえば、大方の悩みは自己解決できますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集26 投稿者: al-fasa より 3月 27, 2011, 08:52:26 午後 「ナガタ・ナガサキ」
永田町と、長崎のことではありませぬぞぅ ;D 古語で「ナ」は“あなた” 「タ」は“楽” 「サキ」は“幸” 「ナガタ」で“あなたが楽しい(と私も楽しい)” 「ナガサキ」は“あなたが幸せ(なら私も幸せ)” すなわち 「あなたが楽しいと、私も嬉しい。どうぞあなたが先に楽しんで、幸せになってください」 古来、日本人が育んできた奥ゆかしい情緒ですのぅ。大切にしたいものですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話27 投稿者: al-fasa より 3月 27, 2011, 09:00:40 午後 「過去は必然 未来は当然」
自分の歩んできた道(過去)は、何人も書き換えることはできませぬ。 ならばそれを否定するより、苦しかったことも辛かったことも全てクヨクヨ悩むより、 「今」を生きる自分にとって必要なことであったと、全部肯定してしまうほうがすっきりします。 未来は誰にでも自由に描くことができます。 未来と言うキャンバスに何を描くことができるかは 「今」を生きるあなた次第。 そう考えれば、未来に起こりうる全ては「今」を生きるあなたにとって当然起こりうる「結果」です。 だから人は“今を精一杯生き”なければなりませんのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話28 投稿者: al-fasa より 3月 28, 2011, 09:03:00 午後 「自分を変えるということ」
自分を変えるのは、「自分」しかおりませんのじゃ。 自分を変えるのは、「今」をおいて他にはありませんのじゃ。 「変わろう」と思ったその時、その瞬間が、自分が変わった瞬間ですじゃ。 ただ、その瞬間を捉えて離さぬ者人と、安易に見逃してしまう人がおりますのぅ スレッド名: Re:酩酊上人のご法話集 投稿者: al-fasa より 3月 28, 2011, 09:10:06 午後 「変化」
「何年たっても変わらないね」 「最近変わったね」 言われて嬉しいのはどちらですかな? 外見のことならば、前者を選ばれる方も多いじゃろうが、性格や人格のことならば後者のほうがいいとは思いませぬか? 「上善は水の如し」(老子) 水は状況に応じて、常に流れを変え変化しながらも、その流れを止めることはありませぬ。 時代、環境にあわせ、常に自分も変化させていきたいものですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話30 投稿者: al-fasa より 3月 28, 2011, 09:13:03 午後 「心の大きさ」
どんなに体が大きい人、背が高い人、どんなに体を鍛えても、そこには限界がありますのじゃ。 しかし「心」の大きさは無限大ですじゃ。 正直に生き、他人のために無償の奉仕ができる人の心は、誠に大きなものですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話31 投稿者: al-fasa より 3月 29, 2011, 11:56:49 午後 「心が先」
横綱白鵬関をして、よく「心技体三拍子揃った大横綱」と称しますのぅ。 ところでこの「心技体」が何故 「技体心」や「体技心」でないか御存知ですかな? 『大学』の一節に“富は屋を潤し 徳は身を潤す 心廣く体豊かなり”(徳が備わって初めて心が広く平静に保たれ、心が落ち着けば体の健康も保たれる) …とありますじゃ。 スポーツの世界で言えば、いくら技や体を鍛えておっても心構えができておらぬと 結果が出ないということですのぅ。 まず心を先に広く強く…そして平静に保つ。日々の生活でも同じことですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話32 投稿者: al-fasa より 3月 30, 2011, 12:00:03 午前 「心を広く保つコツ」
“履物をそろえる” 履き物をそろえると 心もそろう 心がそろうと 履き物もそろう ぬぐときにそろえておくと 履くときに心が乱れない だれかが乱しておいたら 黙ってそろえてあげよう そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう スレッド名: 酩酊上人のご法話33 投稿者: al-fasa より 3月 30, 2011, 12:06:54 午前 「法は書かれたもの 徳は刻まれたもの」
よく、不正を正された政治家等が 「法に基づいて、適切に処理している」 等と言う弁明を聞きますのぅ。 確かに法律は犯さなければ犯罪には非ず。 しかし、人の道、良心に反することは、人として絶対に犯してはならない不文律ですじゃ。 「法律は人が書いたもの」 それゆえに、所詮は読まれるべき書物の一つにすぎませんのじゃ。 「徳(良心)は心に刻まれたもの」 それゆえ、徳は諳んじる物。覚えずとも、自然と体から現れなくば、人間失格ですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話34 投稿者: al-fasa より 4月 02, 2011, 08:46:58 午後 「三毒」
この世で生きることそのものが、実はご修行なのですじゃ。 生きておりますと、実に様々な煩悩に悩まされますのぅ。 その中でも「三毒」と呼ばれる最も根源的な煩悩が 「怒り」「妬み」「愚痴」 ですじゃ。これらを超克することが、この世で生きるというご修行の目的でもありますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話35 投稿者: al-fasa より 4月 02, 2011, 08:52:41 午後 「“怒”と“憤”」
生きておりますと、実に様々な“怒り”の感情を抱きますのぅ。その怒りを外に向かって発する すなわち、人を怒鳴ったり、暴力を振るったり…一時はスッキリするかもしれませんが、あとでガックリ疲れますのぅ。 “怒り”は心のパワーの浪費ですじゃ。 むしろその“怒り”を内に向けると“憤”になります。 人の不正行為を見て、腕を振り上げ、声を荒げるよりも 「ああはなるまい」と自らを律する“憤”は、心の活力となりますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話36 投稿者: al-fasa より 4月 02, 2011, 08:59:25 午後 「愚痴」
“くち”が濁ると“ぐち”になります “ぐち”を言うと“くち”が濁ります “ぐち”を言うと “こころ”も濁り、そのときだけ 楽になった気分になります “ぐち”を言うと“こころ”も濁るので、“人格”も濁ります “ぐち”を言うと“人格”が濁るので、人が離れていきます “ぐち”を言うと“人格”が濁るので、“魂”も濁ります “ぐち”を言うと“魂”が濁るので、“魂の成長”が止まります “魂の成長”が止まった人は、絶対に幸せになれません スレッド名: 酩酊上人のご法話37 投稿者: al-fasa より 4月 02, 2011, 09:09:31 午後 「妬み」
「嫉妬」は自身の「欲」より生じます。もちろんご自身の向上のための「欲」は必要ですが 「劣等感」(ご法話2参照)を伴いますと、この「嫉妬」は、 その人の人相を悪くしますのじゃ。 よく政治家や経営者で人を怒鳴りつけたり、威張り散らす人がいますのぅ。 「劣等感」を抱いたまま偉くなってしまった例です。 厄介なことにこの「嫉妬」や「劣等感」は歳をとるごとに成長しますので、早めにその芽を摘み取ることが肝心ですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話38 投稿者: al-fasa より 4月 05, 2011, 11:15:32 午後 「続・妬み」
“禍は足るを知らざるより大なるはなく、咎は得るを欲するより大なるは無し。ゆえに足るを知るの足るは常に足る”(老子) 日光東照宮の井戸に“吾唯足知”(われただたるをしる)とあります。 徳川家康は“劣等感”と“欲”が一緒になって増大して招く人類最大の罪“戦”の災禍を憂い、自らの、そして幕府の将来への戒めとしてこの句を彫らせたそうですじゃ。 人の犯す盗みや人を殺めるといった罪も、膨らんだ“劣等感”と“欲”がはじけた結果ではないですかのぅ。 他者と比べあれも、これもと欲するのではなく、今持っているもの、今あるものに“感謝”することです。 スレッド名: 酩酊上人のご法話39 投稿者: al-fasa より 4月 05, 2011, 11:21:42 午後 「三毒の克服法~一例として~」
克服法と申しましてもナ、拙僧がお伝えできる方法はたった一つ。 もっと修行を積めば、さらに良い方法をお伝えできますのにのぅ。 拙僧がお伝えできる方法は“お掃除” 三毒はいずれも“わが身かわいさ”の、あるいみ自らの傲慢の顕れです。 怒れるときは己の正義感の他者への強制。 愚痴や嫉妬は “もっと評価されたい、もっともっと良い思いがしたい” という欲望。いずれも他者より自分を立てるという傲慢な心より発するもの。 では“傲慢”の反対とは? それは“謙虚”ですじゃ。掃除はこの“謙虚”さを学ぶ最高の方法ですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話40 投稿者: al-fasa より 4月 05, 2011, 11:28:26 午後 「怒りを鎮める掃除」
怒れる時、イライラしているときほど、美しいものを見ると心が落ち着くものですじゃ。 心が穏やかならざるときは、水周りのステンレス、車、厠、床など…、磨くとピカピカ光るような所をお掃除することですじゃ。 中でも効果が高いのは厠の掃除と床磨き。 どちらもひざを折り曲げ身を低くして行ないます。 怒れる己は自分を高く、他人より上の立ち位置で物事を考えがちですじゃ。 自らへりくだった姿勢で行なうこれらの掃除で、おのずと激高していた心もまた鎮まり、謙虚な気持ちを取り戻せますぞ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話41 投稿者: al-fasa より 4月 05, 2011, 11:33:58 午後 「愚痴を克服するお掃除」
愚痴、不平、不満を口にしたい、あるいはしてしまったときには「窓のお掃除」が最適ですじゃ。 愚痴は“心の濁り”から生じるもの。 ならば、窓を一点の曇りもないように磨き上げることです。(鏡でもよいですぞ) 汚れた窓は見通しが悪い。同様に心の窓が見通しが悪ければ、先行きが見通せない不安、不満が湧き上がり 愚痴や不満となって出てきますのじゃ。 “窓のお掃除”とは、窓を磨きながら“心の窓”を磨くことですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話42 投稿者: al-fasa より 4月 05, 2011, 11:39:11 午後 「妬みを克服するお掃除」
“劣等感”や“嫉妬心”を持ってしまったときは、自分の家、部屋、机の上を見回してみることです。 押入れの中、机の上、ごちゃごちゃしていませんかのぅ? 衣装ケース、要らないものが出ていたり、入ったりしておりませんかのぅ? “嫉妬”“妬み”は他者と比べることから生じます。 それを克服するお掃除は“整理整頓” 要るものと、要らないものに分け、要るものはあるべき場所に戻し、要らないものは捨てる。 そうしているうちに “自分はこんなに持っていた”ことに気づきますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話? 投稿者: al-fasa より 4月 16, 2011, 10:58:27 午後 “言い訳”
…、いや、ホント… PCのマウスが壊れまして… 忙しくて、買い替えもできず… 決してサボっていたわけではないんですぞ 実際に本編は116話まで進んでおりますし… スレッド名: 酩酊上人のご法話43 投稿者: al-fasa より 4月 16, 2011, 11:08:50 午後 “人生の五味”
料理、酒等の味わいに“五味”というものがあります。 「甘い、酸っぱい、辛い、苦い、渋い」 この五つの味のバランスが料理の味わいを決めるわけですじゃ。 人生もまた、同じことが言えますまいか? “人生の 酸いも甘いも 味わって 辛さ 苦しさ 乗り越えて 渋味増すかな わが人生 ” ただ甘いだけ、辛いだけの料理が飽きがくるように、苦しいことや辛いことが、 人生をグッと引き締めますのじゃ。 “寒霜に耐えた柿の味 艱難に耐えた人の味” スレッド名: 酩酊上人のご法話44 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 10:42:21 午後 PCのマウスが壊れてしまい。更新が滞ってしまいました :'(
“自分とは” 自分とは「自然の分身」ですじゃ 自然に四季があるように、自身にも四季が訪れます 春の喜び 夏の情熱 秋の実り… たとえそれが冬であろうと悲しみ、憂うことなかれ 冬はやがて来る、春に大輪の花を咲かせるための準備期間 しっかりと心の中に、 深い 深い根をはることですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話45 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 10:47:29 午後 “個即全 全即個”
雀鬼で有名な桜井章一さんのことばですじゃ “個はすなわち全体であり、全体はすなわち個” 人は誰しも“自分ひとり”では生きていきませぬ そして、誰しも大地より足を離したままでは 生きてゆけませんのじゃ 親がいて自分がいる 親にはそのまた親がいる 自分が踏みしめる大地の向こうには 別のだれかが居る “自分とは「自」然の「分」身” みんな「つながって」おりますのじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話46 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 10:55:19 午後 “自然に対する畏敬”
よく、自然災害の発生を 「自然が牙をむく」 と表現いたします あるいは登山家の登頂成功を 「山を征服した」 …と表現いたします こういった表現は、あたかも人間が自然を支配しているようで 人間の「傲慢」差が現れているような気がしてなりませぬ 我々は、 自然に生かされている 事実、我々が立っている大地、地球の内部がどうなっているか、 現代科学をもってしても 実際に目で見ることはかないませんのじゃ 自然を敬い、感謝する そういう生き方を心がけておりますと、 自然と心が清いほうへ これを“至善”と申しますのじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話集47 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 11:06:39 午後 “念ずる”
法然上人様は 「南無阿弥陀仏」 と念仏を唱えれば、誰しも極楽浄土に行けるとお教えになっておられる 「南無」とは「帰依」のことじゃが 今風に言えば 「大好き!」 「阿弥陀ちゃん大好き!!」 こんな感じですかのぅ…フォッフォッフォッ 尊重 敬愛 賞賛 といった言葉は、人の心を善に導き 逆に 軽蔑 憎悪 愚痴 不平、不満 といった言葉は、心を悪いほうへと導きます 法然様の教えは “念仏を唱える”ことで 心を善なるほうへお導きくださっておるのですじゃ 「念」は「今」に「心」と書き申す 良きことを口にして 善を心に刻むことですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話48 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 11:21:58 午後 “執着と言う苦しみ”
「自然」は“与える”存在だけではなく 時として“頂く”(その人から見れば“奪う”)存在でもありますのじゃ 永遠に咲き続ける花が存在しないように 人は永遠に何かを持ち続けることはかないませぬ 自然がその人の何かを“奪った”とき それは その人がすでに持ちきれない位 何かを抱え過ぎているか すでに持っているものとは別の 何かすばらしい物を 与えてくださるときではないかのぅ ただ、 人は与えられることには慣れますが 奪われることにはなかなか慣れません 奪われる物に「執着」するから苦しむのです スレッド名: 酩酊上人のご法話49 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 11:27:20 午後 “少私寡欲”
“少私寡欲” 老子の言葉ですじゃ “私”を少なく “欲”を少なくすれば 心が軽くなりますのじゃ 公の利益より自分の利益を優先しますと 心は 「もっと」 を望み、欲が膨らみます 欲で膨らんだ心は 重たいですぞ スレッド名: 酩酊上人のご法話50 投稿者: al-fasa より 4月 26, 2011, 11:30:02 午後 “本当に大切なもの”
本当に 大切なものは 心の中に そっとしまっておこう 無くさないよう 盗られないよう そうしていつでも 取り出せるよう スレッド名: 酩酊上人のご法話51 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 10:30:04 午後 “自知者明”
“自らを知る者は明らかなり”(老子) “自明”という言葉の語源ですじゃ。 自分と言う存在を、その強さも、弱さも理解することで “生き方”という道が見えてきます ただし、 「俺はこういう性格だから」 と言い訳している者に進歩はありませぬのぅ こういう者は、生き方と言う道を歩いているのではなく あぐらをかいて座っているだけですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話52 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 10:36:20 午後 “敏忙たれ”
仕事も、相談事も皆、忙しい人のところに集まってきます 「忙しい…」 と口癖のようにぼやく人は、実は忙しいと思っているのは当人だけであったりしますのじゃ 良いアイデアは、忙しいときほど与えられます 暇なときは心もダラケますのじゃ 「小人閑居として不善を成し…」(大学) もちろん、四六時中仕事に打ち込む…というのでは仕事中毒 働くときは働き、休むときは休む メリハリをつけることじゃ 手帳のスケジュールの空欄を、まずは埋めてみてはいかがかのぅ? スレッド名: 酩酊上人のご法話53 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 10:40:40 午後 “苦境にあたって”
長い人生に逆境・苦境はつきもの 人生を山に例えるなら、逆境・苦境は険しい山道を登攀しているようなものですじゃ 身をかがめ わずかな手がかりを頼りに急な坂を登る 逆境においては、身をかがめる…すなわち腰を低く、より謙虚に、わずかな手がかりを… すなわちどんな小さな望みでも、 それを捨てぬことですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話54 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 10:47:05 午後 “最小不幸社会”
ニーチェは「人間社会は不平等な社会」と喝破しております 人はそれぞれお役目が違います 社長になる人 サラリーマンで一生を終える人 人間社会が成り立っていく上で、上下関係が生ずるは必然なのですじゃ しかし 上に立つ者は、上の立場を利用して下に居る者の上に、あぐらをかいてはなりませぬ 下に居る者は、上の者の下に安住してはなりませぬ 上に立つ者は、より謙虚に、そして下に居る者は上を目指して努力することが “最小不幸社会” …そうではないかのぅ? スレッド名: 酩酊上人のご法話55 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 10:53:11 午後 “感動を与える”
“感動”とはサプライズですじゃ 想像を超える何か、事や物(者)に遭遇したとき、人は感動を覚えます だからといって、人を感動させることは難しいですのぅ 多くの人は、“感動させよう”とする余り 背伸びをして何か大きなものを、事を与えようとするからではないかのぅ? もっと身近なこと 「落ちているゴミを拾う」 「席を譲る」 等の、小さな感動を積み重ねる 絶えず人が喜ぶ、感動するようなことを考える 心にそういう癖をつけること これがいつしか「人に感動を与える」という 大きな実をつけますのじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話56 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 10:59:42 午後 “感動は心のエネルギー”
人を喜ばせたい 感動させたい…と考えていますと 自然と心に活力が湧いてまいります 逆に 感動を覚えるときもまた、 心に爽やかな活力が湧いてきます そしてその時(感動を)与えている側も、受け手が感動する姿に励まされ 感動を覚える…つまり感動を与える側も、覚える側も 双方が心の中にふつふつとたぎるような心のエネルギーを生ずる 感動が感動を呼ぶ…ということです …その逆もあります 憎悪が憎悪を呼ぶ… 推して知るべし 常に良き考えを 常に良き感動を… 心に悪しきエネルギーを生ずる隙間を作らぬことですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話57 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 11:06:34 午後 “情緒”
黎明の朝焼けを見て… 満月を見て… 路傍の可憐な花を見つけて… そこに美を見出し、其れを愛でるは「情緒」ですじゃ お金で買うことのできない「感動」ですじゃ お金を出せば買える感動は、 それ自体は悪い事ではありませんが、 繰り返し、其れのみで自身を満足させておりますと 「情緒」という感覚が鈍ります 「情緒」とは自然から分けていただくおすそ分け 私欲を満たすことに汲々とする者には、分けてはもらえませぬ スレッド名: 酩酊上人のご法話58 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 11:10:58 午後 “気づきを頂くということ”
気づきは天からの贈り物です 身を低く、謙虚なものにしか与えてはくれませぬ 身を低く、謙虚であれば、他人には見えない 「小さな気づき」 を頂くことができます この小さな「気づき」の積み重ねが 豊かな人生を「築く」ことにもなりますのじゃ 「九層の台は塁土より起こる」(老子) 小さな気づきをおろそかにして、人生に大きな楼閣を建てることはかないませぬ スレッド名: 酩酊上人のご法話59 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 11:17:06 午後 おもてなし
人は見かけによらぬと昔から言われておりますのぅ ご商売をされておる方、お客様の外見で判断しておりませぬか? 「あのお客は身なりがいいから買ってくれそう」 「あのお客は貧相だから買わないだろう…」 せっかく来ていただいているお客様を外見で差別するのは失礼と言うもの 来て頂いたお客様に裏表無く接する それが 「(裏)おもてなし」というものです 無論、お客様をお迎えするに当たり、 “買って”という下心があっては、お客様を感動させることはかないませぬ お客様は、 物と一緒に感動も買っておりますのじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話60 投稿者: al-fasa より 5月 02, 2011, 11:21:49 午後 “納得よりも共感”
どのような善行でも、必ず其れを不快に思ったり、感じたりする人はおります 例えば、早朝に近所を掃除しますと 「朝からうるさい」 とクレームを付けられたりします 大切なのは、そこで自身の正しさを主張し、 相手を説き伏せ「納得」させることではなく 行動を通して「共感」を得ることが大切ですじゃ イソップ物語の「北風と太陽」を連想されるとわかりやすいですかのぅ スレッド名: 酩酊上人のご法話61 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:16:05 午後 気が付くともう6月
全然追いつきません(笑) 本編は165まですすんでおります 「一灯偏照隅」 生きておりますと、時として暗闇を手探りで行く… そんな時期が必ずあります そのようなときこそ“己”という灯りをなくさないよう 自分を見失うこと無かれ また、己が一灯が照らせるのは、ほんの一隅にすぎません 驕ること無かれ、誇ること無かれ スレッド名: 酩酊上人のご法話62 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:23:12 午後 「できる喜び させていただく幸せ」
やりたいことができる。最高の喜びですじゃ しかし 「させて頂く幸せ」 もありますのじゃ 会社勤めで雑用に追われ 「こんなことをするために会社に入ったわけではない」 と憤ることもあります しかし 世にはやりたくとも、出来ない者が大勢いることを 忘れてはなりませぬ 者前の仕事を大事に出来ない者、 仕事をいただけることに感謝できない者には 「できる喜び」は味わえますまい “やれなかったのではないんだな やらなかったんだな”(あいだみつを) スレッド名: 酩酊上人のご法話63 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:28:12 午後 「振り返る」
トイレットペーパーの三角折り ご存知ですかのぅ レストランや、ホテルのトイレでよく見ますのぅ …あれは単に見栄えが良いからするのではありませんのじゃ あのように折ってありますと、 次に使う人が簡単につまめるので、取り出しやすいように折ってありますのじゃ 使いっぱなしにせず、一歩立ち止まって振り返り 次に使う人のことを考え、慮る ほんのちいさなことですが、これが「情緒」であり 武士道の「惻隠の心」ですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話64 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:33:22 午後 「念ずれば花ひらく」
“念ずれば 花ひらく 苦しいとき母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった”(坂村真民) あなたが願っていることがなかなか実現しないのは それは「念」が足りないのか その願いが「不純」のどちらかですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話65 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:39:09 午後 「鏡の法則」
仏教では“因果応報”と申しますが およそ自身の周りで起こる吉凶すべてのことは 自身が発した言動や行動によるものですじゃ イライラしていると、身の回りにあるすべてのものが気に障るのもこのためです 癇気、怒気より嬉気、陽気を発しておれば、 身の周りで起こるすべてのことが、嬉しく、楽しいことに変わってまいります もし、人に何かをしてもらいたいのなら、まず自分から その人にしてもらいたいことをなすべきです スレッド名: 酩酊上人のご法話66 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:44:41 午後 「背伸びしない」
「企(つまだ)つ者は立たず」(老子) つま先で立つ、すなわち背伸びする者は、立ち続けることは適いません 自分を大きく見せよう、自分の偉さを誇ろうとする自己顕示欲が 無理を生じ、嘘を生じて人を誤った方向へ導くのです ふんぞり返って尊大な者は、自分の足元を見ようといたしません だから転ぶんです 謙虚な者は、身を低く自分の足もとをしっかりと見つめ、注意します だから、例え転んでも怪我をしないのですじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話67 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:51:55 午後 「なんのために働くのか」
…ある街の教会を建設するレンガ職人達にある人が問うた 「何をしているんですか?」 「見てのとおり、レンガを積むだけのつまらん仕事さ」 と一人の職人 別の職人は 「…壁を作っている…」 別の職人 「地上に神の国を造るお手伝いをさせていただいております。わたしがレンガを一つ積む度に、確実に神の国は近づいているのです。なんとすばらしいことでしょう」 おんなじ仕事でも、心に抱く考え方一つで、仕事に対するモチベーションが異なりますのじゃ さてさて、 「なんのために働くのか?」 と問われたら、どうお答えになりますかのぅ? スレッド名: 酩酊上人のご法話68 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 08:58:15 午後 「寛容」
「上士は道を聞いて努めてこれを行なう …下士はこれを聞いて大いに笑う」(老子) 部外者の突拍子も無い意見、現場を知らない上司の指示 …それらを聞いて「何を馬鹿なことを」 と言下に否定してしまうことは誰にでも出来ます そんな馬鹿な…と思わず、そんなこともあるのかな… と、まず受け入れてみる。その上でやってみて自分なりに咀嚼判断する 自分なりにアレンジしてみる 広く受け入れることが「寛容」というものですじゃ 牛とて緑の葉っぱを食べ 白い乳をだすのですぞ スレッド名: 酩酊上人のご法話69 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 09:04:36 午後 「ひとつ買うと…」
心の飢えを物質で補うと、 心は「もっと」を求めます 「ひとつ買うとまたひとつ欲しくなる」 …そうして物質が自分の身の周りに溢れるようになると 今度はその喪失を恐れ「執着」心を生じます 「一切の不幸は、貧しさや不足から生じるのではない。有り余るところから生じるのだ」(トルストイ) 「我慢」とは、己が「慢心」を客観視すること 己が欲望のままに行動するは、獣と同じ 自分の欲望をコントロールできるのは人間だけです 「ひとつ我慢すれば 本当に必要なものが見えてくる」 スレッド名: 酩酊上人のご法話70 投稿者: al-fasa より 6月 05, 2011, 09:10:47 午後 「こだわり」
自然界に存在する生物は、みな一様に「成長」します 人であれば体だけではなく、精神も成長いたします これを“無常”と申します しかし、中にはこの“無常=変化”を拒む者もおります それを“こだわり”と言う者もおりますが その“こだわり”には“追求”が伴っていますかのう? いわゆる老舗の“こだわり”には、例えば味、品質といった さらに高みを求める“追求”がございます しかし、その“こだわり”が変化を拒む方便だとしたら そのような“こだわり”は捨てることです スレッド名: 酩酊上人のご法話72 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:13:49 午後 「ツキ」
目の前で電車が行ってしまった。 テレビをつけたら嫌いなタレントが出ていた… そんな時 「ツイてないなぁ」 と思い、つい舌打ちをしませんか? ツイてないなぁ、嫌だなぁ…と思っておると、不思議と周りで嫌なことが起こります。 むしろ、たとえツイていない事が起こっても、 …これは次に良いことが起こる前触れだ… と考える。すると、不思議と周りでよいことばかり起こるようになりますのじゃ。 「ツキは憑き」 否定的な言動や行動で、邪気を身につけぬようにのぅ スレッド名: 酩酊上人のご法話72 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:18:10 午後 「魔がさす」
人の心は誠に弱きもの。 つい、楽な方向、自分が気持ちよい方向へ流されてしまいます。 「つい出来心で…」 心に隙間を造ってしまいますと、その隙間に邪心が入り込んでしまいます。 それを防ぐために、心は感動と感謝で満たしておくことです。 感動と感謝で心を満たしておきますと、 感動と感謝があふれ出します。あふれ出した感動と感謝がその人の魅力となりますのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話73 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:22:15 午後 「媚びるなかれ」
人に気にいられたい、思いを実現したい… そのために「媚びを売る」者は、自分の魂を売る行為に等しい愚行ですじゃ 媚びを売る姿は、見るものを苛立たせますし、売っている本人も傷つくのです そうしてまで得た物に、魂と等価の価値がありましょうや? スレッド名: 酩酊上人のご法話74 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:25:03 午後 「ありがとう」
“ありがとう”は 魔法のことば 言ったもの 言われたものが あたたまる こころをきれいにする 魔法のことば スレッド名: 酩酊上人のご法話75 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:30:38 午後 「感謝するということ」
自分にとって良いことがおきたとき、 人にされたときだけにすることだけが“感謝”ではありませぬ 朝、目がさめたこと、食事をいただけること、 仕事、勉学に打ち込めること …探せばいくらでもありますのじゃ 辛いこと、悲しいこと、腹の立つことの数を数えるより 感謝する、感謝した数を数える…その方が充実した人生だと言えますまいか? 1日の終わりに、今日一日自分が何回「ありがとう」と言えたのか、数えてみることです スレッド名: 酩酊上人のご法話76 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:36:16 午後 「手鏡をもつ」
道行く人を眺めておりますと、人の表情は実に様々 楽しそうな人、辛そうな人、怒っている人、悲しそうな人… 自分が眺めておると言うことは、自分もまた誰かから眺められております 今、その瞬間自分がどんな顔をしておるのか、時々鏡でチェックしてはいかがかのぅ? 口がへの字をしていませんか? 眉間に皺がよっていませんか? ご自身の「ベスト表情」というものを確立しておくことも、 自分と言う役割を演ずるために必要なことです スレッド名: 酩酊上人のご法話77 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:42:05 午後 「分かち合い」
「分福」という言葉をご存知ですか? 幸田露伴が残した言葉ですじゃ 美味しいものも、楽しい時間も皆で分かち合う 分かち合うことで自分が幸せになるだけでなく、皆が幸せになることができる …ただ、自分の余財を分け与えるのではなく、 「今、自分が幸せなのは皆のおかげ」 と身銭を切る 自分の財産や時間を人のために使えるということは、誠に気高く尊いご修行ですじゃ 何事も独り占めは卑しいものです スレッド名: 酩酊上人のご法話78 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:47:08 午後 「自然が語りかけてくるもの」
時として襲いかかる天災は、 自然がこう語りかけていると感じます… 「毎日を真剣に生きているか?」 “朝に道を聞かば夕に死すとも可なり”(論語) スレッド名: 酩酊上人のご法話79 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 07:55:37 午後 「瓜田不納履 李下不正冠」
“瓜の畑で履き物を履きなおそうとすると、傍から見れば瓜を盗んでいるように見える 李(すもも)の木の下で帽子をかぶりなおそうとすると、傍から見れば李を盗んでいるように見える”(君子行) …たとえ、自分が正しいと思っている行動、言動でも そこに人から疑いを持たれるような行為や言質があれば、 その価値は半減するどころか人格まで疑われてします 説得力というものは言行一致 言動と行動が伴って初めて説得力をもちますのじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話80 投稿者: al-fasa より 7月 24, 2011, 08:02:51 午後 「評判と名声」
“当今の毀誉は恐るべからず 後世の毀誉は恐るべし”(言志四録) 江戸時代の大儒・佐藤一斎の言葉です 人の噂程度の評判など、時が立てば忘れられてしまいますが、記憶・記録に残るような行為、行動は 慎重に慎重を重ねるべきですじゃ また、自分が存命中の他人からの悪口はいかようにも対処できましょうが、自身の死後の汚名までは漱げませぬ 今日、明日の虚栄心を満たすより、10年後、30年後、自身の死後を見据えた長期的な視野に立ち 物事を捉え、行動すべきです スレッド名: 酩酊上人のご法話集81 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 05:43:51 午後 「遮断」
黙っていても情報はどんどん入ってきます。 求めれば、もっと手に入ります。 でもその中から本当に必要なものを選び出すは難しいものです。 特にテレビやネットの情報は、センセーショナルな内容や、衆人の目を引く 情報ばかりをトップに据えがちです。 一度遮断し、情報源を絶ってみれば、存外必要な情報は限られていることが判る。 伝わってこない本質が見えてくるものです。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集82 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 05:47:37 午後 「いのちの根」
なみだをこらえて かなしみにたえるとき ぐちをいわずに くるしみにたえるとき いいわけをしないで だまって批判にたえるとき いかりをおさえて じっと屈辱にたえるとき あなたの眼のいろが ふかくなり いのちの根が ふかくなる (あいだみつを) スレッド名: 酩酊上人のご法話集83 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 05:57:52 午後 「真剣に考える」
「真剣に考えると言いましてもな、日中考えて、考えて…そのことが夜、夢となって出てくるまで考えんと、そらあんた“真剣に考えた”とは言えまへんで」(松下幸之助) 心を静かに保ち 耳を澄まして内なる言葉を聞く …解決できない問題などありませんのじゃ 「“…義のために立て。公儀のために立て。真理のために立て。見よ私はあなたと共にいる”…私は閃光の輝きを見た。雷鳴の轟きを聞いた。…しかし私は同時に、闘い続けよう、と優しく語りかける主イエスの声を聞いた」(キング牧師) スレッド名: 酩酊上人のご法話集84 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:04:48 午後 「信じる」
“信義”という言葉があります。 なぜこの言葉が“義信”ではないか? 「信はこれ義の本なり。事毎に信あるべし」(17条憲法・第9条) 人も、社会も、国家も「信」がなければ成り立たないことを、聖徳太子は太古の時代より諭されております。 民は政府を信じないから私利に走り、政府は民を信じないから法令を厳しくする。 法令が厳しくなると、民は私利を満たすために必ず抜け道を見つけるのです。 「信足らざれば、信ぜられざるらい」(老子) キリストも言う。 「隣人を愛せ」 ゆえに“信愛”なのです。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集85 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:10:31 午後 「ゆずり愛 助け愛 分かち愛」
“大きな釜に粥が煮立っている。その釜の周りで腹をすかした人々が長い匙を持って粥を食べようとしている” そこが地獄ではこんな光景じゃ 匙が長いため、自分の口に運ぼうとすると、他人が邪魔をして匙の粥を叩き落してしまう。目の前に旨そうな粥が煮立っていながら、誰も腹を満たすことが出来ない世界。 逆に極楽ならこんな光景じゃ 長い匙で向かいの人に「あなたからどうぞ」と食べさせてあげる。すると向かいの人も自分に食べさせてくれ、誰もが腹を満たす世界。 “愛”にみちた社会を スレッド名: 酩酊上人のご法話集86 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:12:13 午後 「強さとは」
自分という存在は、自身の素晴らしい点、長所と、自分が劣った点、短所をあわせもつ存在ですじゃ。 そこで「短所」と認識し、短所は短所として等身大の自分を認める。 それが「強さ」への第一歩なんじゃろう。 大方の者は、短所を隠そうと背伸びして己を偽ります。 これは虚勢であって己の「弱さ」を声高に主張していることとおんなじなんじゃよ。 短所は短所として認めた上で、己と相談しながら克服していくことが「強さ」なんじゃろう。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集87 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:14:05 午後 「あなたはあなた」
タレントの島田紳助の所へ 「紳助さんに憧れて、紳助さんみたいになりたくて」 …と弟子入りを希望する人が多いそうじゃ。 すると紳助は「紳助はもうおるで。芸能界に紳助二人はいらんやろ。どうして自分を磨かん?」と答えるそうじゃ。 茶道、華道などの修行の過程の「守・破・離」 まずは師匠を忠実に真似(守)、そこからアレンジして(破)、新境地を見出す(離)。 師匠の物真似で終わってしまっては評価されない世界ですじゃ。 生き方もしかり。 「あなたは誰にもなれないし、誰もあなたにはなれない」のですじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集88 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:18:34 午後 「わがまま」
誰しも自分が大事じゃから、つい「自分さえ良ければ」という感情を、大なり小なり抱きます。 わがままとは「我が慢心」 「私の心が慢心を抱いている」と自分を客観視して、自らの行動を制することができれば、立派な大人(たいじん)ですじゃ。 しかし、人は往々にして、他人のわがままは許せず批判、糾弾しますが、結構自分のわがままは許してしまっている。 こういうひとは大人(おとな)。文字通り(体が)大きな人にすぎませんのじゃ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集89 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:20:40 午後 「安売りの功罪」
近江商人の心得の「三方良し」 お客様は買って満足。商人は売れて満足。また商品を作った職人も自分の作品が人の役に立つことに満足を覚えるのです。 世の中不況で、ディスカウントが流行り 。確かに安いことは有難いことですが、そこに「三方良し」の精神はあるじゃろうか? メーカーは、納品先にコストダウンを迫られ眉をひそめる。売り方も薄利多売で青色吐息。そして買い手もどうせ安物だから…と物の価値を色眼鏡でみてしまい、そこに満足感はありませぬ。 買い物は売り手買い手、造り手が楽しくあらねばのぅ スレッド名: 酩酊上人のご法話集89 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:22:10 午後 「琢磨」
「琢するが如く磨するが如しとは 自ら修むるなり」(大学) 思うに、人は人生という修行において「心」すなわち「人格」という玉を穿ち、磨いていくことが人の一生ではあるまいかのぅ。 善なる心は玉の丸きが如し。丸いので、人生の道を順調に転がっていきますのじゃ。 一方、悪しき心は形が悪い。楕円形であったり出っぱっておったり。 だから道を転がっていくと、飛んだり跳ねたり、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、果ては止まってしまいますのじゃ。 善き心を。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集91 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:25:48 午後 「意志」
「幾たびが艱難を歴て志初めて堅し」(西郷隆盛) 一度自分が決めたことは貫き通す。これが意志というものじゃ。 「意志は石」 少々の逆境でも石のごとく、固く、重く動かぬものであらねばなりませぬ。 それ、そもそも「志」とは 「心座す」 心が座る、すなわち肝っ玉が座っていることですじゃ。 つまるところ、人生とは「己との戦い」 そして、甘えたい、遊びたい…様々な欲望の誘惑に負けず、己を律する生き方の指標が、先人が示した様々な箴言というものですじゃ。 「隠雲霧不動山 紛欲情不喪心」(酩酊上人のご法話1) スレッド名: 酩酊上人のご法話集92 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:27:40 午後 「度量」
他人がやらない所、やりたがらないような所や、特に汚れが酷い所をお掃除していますと、だんだんと時間はかかりますが、磨いている場所が本来の輝きを取り戻します。 始めは必死です。力任せ。 しかし、いつしかコツを覚え、だんだんと心が澄み、涼やかにお掃除ができるようになります。 心が澄んできますと、普段気づかないような所の汚れに気づき掃除の範囲が広がったり、もっと効率のよい方法を思いついたりいたします。 「掃除する範囲が人の心を広げ、その仕上がりが、その人の心を深くする」 多分そうなんじゃろう スレッド名: 酩酊上人のご法話集93 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:29:51 午後 「無料の対価」
物には必ず対価がありますのじゃ。 無料、ただと聞いて得をしたと喜ぶことなかれ。 無料の物には、品位という対価を払っております。 「ただだから」…と使いきれないぐらいもらってくる、あるいは物を粗末に扱う者は、それだけ多くの品位を払っていることを自覚することです。 物だけではありませんぞ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集94 投稿者: al-fasa より 11月 26, 2011, 06:31:23 午後 「トイレの神様」
植村花菜の歌、おばあちゃんの言葉、 「…トイレには、それは、それは、綺麗な女神様いるんやで」 家相という言葉があります。 思うに、玄関がその家の顔ならば、厠はその家の心。 転ずれば、そこに住む人の顔であり、心でありますのじゃ。 トイレにおわす神様は、女神様というおばあちゃんのお話、良く解ると思いませぬか スレッド名: 酩酊上人のご法話集95 投稿者: al-fasa より 11月 27, 2011, 06:07:35 午後 「お金の心配」
お金はないより、あるにこしたことはありませぬ。 しかし、お金の魔力は満足と言う言葉を知らぬことです。 持っていても、足りない。足りないと不安を煽る。 本当は「お金の心配」なんてものはありませんのじゃ。 「財を生ずるに大道あり それを生ずるもの多く それを食するもの少なく それを作るもの疾く それを用いるものおもむろなれば 財常に足る」(大学) きちんとした収入があり、無駄遣いせず、いざ使う時も慎重に使っておれば、足りないなんてことはないんじゃよ。 分をわきまえず使うから足りないんじゃ スレッド名: 酩酊上人のご法話集96 投稿者: al-fasa より 11月 27, 2011, 06:09:24 午後 「言い争ったら…」
国会の論争しかり、議論の結果双方が納得する結論を出せれば、その価値はありましょうが、相手をただ論破することが目的の討論という言い争いが多い。 仮に論破したからと言って得られる物は一時の虚栄。 故に論破されて失うものなど些末なものです。 「言い争ったら相手が正しい」 「…そうだね、そういう考えもあるかもしれないね」と、さっさと矛を収めてしまう方が有意義じゃ。 「君子は坦として蕩蕩たり 小人は長として戚戚たり」(論語) 小人は人に勝ろうとしてあくせくします。 広い心をお持ちくだされ スレッド名: 酩酊上人のご法話集97 投稿者: al-fasa より 11月 27, 2011, 06:12:35 午後 「無私」
常々思うんじゃが、肉体は心を閉じ込める「殻」じゃ。 例えば心は想像力で瞬時に世界中を旅することができ申す。 しかし肉体がそれを阻む。 意識して何かを行う時、心は肉体に指令を下す…転ずれば心は肉体に束縛されている。 故に我々が無意識で何かを行う時、心は肉体から解放されているんじゃと思いますのぅ。 「我」「私」は、「欲」を好みます。 曰く「我欲、私欲」 欲とは肉体がそれを欲するのじゃ。 心を我が身可愛さの「欲」から解放する(私を無くすこと)が「修行」であり、修行の一つに「勤労」がありますのじゃ。 スレッド名: Re:酩酊上人のご法話集 投稿者: al-fasa より 11月 27, 2011, 06:14:26 午後 「運命と宿命」
「大丈夫命を造るべし 命を言うべからず」(英雄は運を自ら切り開く、吉凶を運命としない) 万事「運が良かった(悪かった)」と片付けてしまう事は容易い。 しかし、運を天に任せてばかりおっては、まさに「命が運ばれて」来るのを待っているようなもの。 「宿命」とはまさしく「命が宿る」 自身の心に「使命」という、太い柱を立てる。 その柱に天意(天命)が宿りますのじゃ。それ、英雄は運すら使役するから「使命」じゃ。 「五十にして天命を知る」(論語) 運ばれて来るのを待っておっては、天命を知ることは叶いませぬ。 スレッド名: 酩酊上人のご法話集99 投稿者: al-fasa より 11月 27, 2011, 06:26:14 午後 「ズレを楽しむ」
二十四節季をご存知かのぅ。 二十四節季の中に「大寒」(1月20日ごろ)があります。 「大寒」とは寒さが最も厳しくなる頃とされていますじゃ。 理論的に考えると、日照時間が最も短くなる「冬至」の頃が一番寒いと考えがちじゃが、昔の人は大地や大気が冷えるまでの時間差を体感しておったのじゃな。 また、それぞれの二十四節季それぞれに行事や食べ物の旬がござって、昔の人は季節の変化そのものを楽しむ“余裕”があったようですじゃ。 今では千年に一秒も狂わない正確無比な時計もあるそうじゃが、昔の人のように「季節のズレ」を楽しむ余裕がほしいものですじゃ。 いかがかのぅ。家の時計を五分遅らせてみては? スレッド名: 酩酊上人のご法話集100 投稿者: al-fasa より 11月 27, 2011, 06:28:43 午後 「人と神(仏)様の間」
仏教は自身の心中に菩薩様がおり、その菩薩様を表に引き出すことがご修行です。 キリスト教になりますと、神様はご自身のお姿を模して人間を創造されたとあります。 神道は死すと皆神様になります。 …我々が崇める神仏は皆、我々と微差、僅差ほどの違いしかないと思いますのぅ。ただ、ほんの少しの…しかも決定的な違いですじゃ。 …それは「我(私)」の有無。 皆多かれ少なかれ「我」を持っております。「我」とはときに「プライド」であったり「人格」であったり… 我々が生きていく上で、多少の「我」は必要。しかし成長とともに「我」も増長します。 老子が「嬰児に復帰す」と、赤子を道の範とするように、赤子は「我」が発達しておらぬゆえ神に等しいとされますのじゃ。 が、生きて行く上で皆赤子に戻るわけには参りませぬ。 故に、我々は少しでも「我」を張らず「譲りあって」生きること、それが現世でのご修行であると思いますのぅ。 神社に行きますと、鏡が御神体として祭られております。 そこには神様の姿が写るとされております。 俗人が鏡の前に立っても、そこに写るは己自身の姿じゃ。 しかし、その人がもし「我」を捨て去った清い心で鏡の前に立ったとしたら、そこに写る姿はいかがじゃろぅ。 試しに「かがみ」から「が」を抜いてよんでみなされ(-人-) |