al-fasa
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« 返信 #75 投稿日: 7月 24, 2011, 07:25:03 午後 » |
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「ありがとう」
“ありがとう”は
魔法のことば
言ったもの
言われたものが あたたまる
こころをきれいにする
魔法のことば
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« 返信 #76 投稿日: 7月 24, 2011, 07:30:38 午後 » |
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「感謝するということ」
自分にとって良いことがおきたとき、 人にされたときだけにすることだけが“感謝”ではありませぬ
朝、目がさめたこと、食事をいただけること、 仕事、勉学に打ち込めること
…探せばいくらでもありますのじゃ
辛いこと、悲しいこと、腹の立つことの数を数えるより 感謝する、感謝した数を数える…その方が充実した人生だと言えますまいか?
1日の終わりに、今日一日自分が何回「ありがとう」と言えたのか、数えてみることです
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« 返信 #77 投稿日: 7月 24, 2011, 07:36:16 午後 » |
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「手鏡をもつ」
道行く人を眺めておりますと、人の表情は実に様々
楽しそうな人、辛そうな人、怒っている人、悲しそうな人…
自分が眺めておると言うことは、自分もまた誰かから眺められております
今、その瞬間自分がどんな顔をしておるのか、時々鏡でチェックしてはいかがかのぅ?
口がへの字をしていませんか? 眉間に皺がよっていませんか?
ご自身の「ベスト表情」というものを確立しておくことも、 自分と言う役割を演ずるために必要なことです
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« 返信 #78 投稿日: 7月 24, 2011, 07:42:05 午後 » |
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「分かち合い」
「分福」という言葉をご存知ですか? 幸田露伴が残した言葉ですじゃ
美味しいものも、楽しい時間も皆で分かち合う 分かち合うことで自分が幸せになるだけでなく、皆が幸せになることができる
…ただ、自分の余財を分け与えるのではなく、
「今、自分が幸せなのは皆のおかげ」 と身銭を切る
自分の財産や時間を人のために使えるということは、誠に気高く尊いご修行ですじゃ 何事も独り占めは卑しいものです
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« 返信 #79 投稿日: 7月 24, 2011, 07:47:08 午後 » |
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「自然が語りかけてくるもの」
時として襲いかかる天災は、 自然がこう語りかけていると感じます…
「毎日を真剣に生きているか?」
“朝に道を聞かば夕に死すとも可なり”(論語)
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« 返信 #80 投稿日: 7月 24, 2011, 07:55:37 午後 » |
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「瓜田不納履 李下不正冠」
“瓜の畑で履き物を履きなおそうとすると、傍から見れば瓜を盗んでいるように見える 李(すもも)の木の下で帽子をかぶりなおそうとすると、傍から見れば李を盗んでいるように見える”(君子行)
…たとえ、自分が正しいと思っている行動、言動でも そこに人から疑いを持たれるような行為や言質があれば、 その価値は半減するどころか人格まで疑われてします
説得力というものは言行一致 言動と行動が伴って初めて説得力をもちますのじゃ
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« 返信 #81 投稿日: 7月 24, 2011, 08:02:51 午後 » |
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「評判と名声」
“当今の毀誉は恐るべからず 後世の毀誉は恐るべし”(言志四録)
江戸時代の大儒・佐藤一斎の言葉です
人の噂程度の評判など、時が立てば忘れられてしまいますが、記憶・記録に残るような行為、行動は 慎重に慎重を重ねるべきですじゃ
また、自分が存命中の他人からの悪口はいかようにも対処できましょうが、自身の死後の汚名までは漱げませぬ
今日、明日の虚栄心を満たすより、10年後、30年後、自身の死後を見据えた長期的な視野に立ち 物事を捉え、行動すべきです
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« 返信 #82 投稿日: 11月 26, 2011, 05:43:51 午後 » |
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「遮断」
黙っていても情報はどんどん入ってきます。 求めれば、もっと手に入ります。
でもその中から本当に必要なものを選び出すは難しいものです。
特にテレビやネットの情報は、センセーショナルな内容や、衆人の目を引く 情報ばかりをトップに据えがちです。
一度遮断し、情報源を絶ってみれば、存外必要な情報は限られていることが判る。 伝わってこない本質が見えてくるものです。
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« 最終編集: 11月 26, 2011, 06:15:00 午後 by al-fasa »
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« 返信 #83 投稿日: 11月 26, 2011, 05:47:37 午後 » |
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「いのちの根」
なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが ふかくなり
いのちの根が ふかくなる
(あいだみつを)
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« 最終編集: 11月 26, 2011, 06:14:41 午後 by al-fasa »
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« 返信 #84 投稿日: 11月 26, 2011, 05:57:52 午後 » |
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「真剣に考える」
「真剣に考えると言いましてもな、日中考えて、考えて…そのことが夜、夢となって出てくるまで考えんと、そらあんた“真剣に考えた”とは言えまへんで」(松下幸之助)
心を静かに保ち 耳を澄まして内なる言葉を聞く
…解決できない問題などありませんのじゃ
「“…義のために立て。公儀のために立て。真理のために立て。見よ私はあなたと共にいる”…私は閃光の輝きを見た。雷鳴の轟きを聞いた。…しかし私は同時に、闘い続けよう、と優しく語りかける主イエスの声を聞いた」(キング牧師)
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« 返信 #85 投稿日: 11月 26, 2011, 06:04:48 午後 » |
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「信じる」
“信義”という言葉があります。
なぜこの言葉が“義信”ではないか?
「信はこれ義の本なり。事毎に信あるべし」(17条憲法・第9条)
人も、社会も、国家も「信」がなければ成り立たないことを、聖徳太子は太古の時代より諭されております。
民は政府を信じないから私利に走り、政府は民を信じないから法令を厳しくする。 法令が厳しくなると、民は私利を満たすために必ず抜け道を見つけるのです。
「信足らざれば、信ぜられざるらい」(老子)
キリストも言う。 「隣人を愛せ」
ゆえに“信愛”なのです。
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« 返信 #86 投稿日: 11月 26, 2011, 06:10:31 午後 » |
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「ゆずり愛 助け愛 分かち愛」
“大きな釜に粥が煮立っている。その釜の周りで腹をすかした人々が長い匙を持って粥を食べようとしている”
そこが地獄ではこんな光景じゃ
匙が長いため、自分の口に運ぼうとすると、他人が邪魔をして匙の粥を叩き落してしまう。目の前に旨そうな粥が煮立っていながら、誰も腹を満たすことが出来ない世界。
逆に極楽ならこんな光景じゃ
長い匙で向かいの人に「あなたからどうぞ」と食べさせてあげる。すると向かいの人も自分に食べさせてくれ、誰もが腹を満たす世界。
“愛”にみちた社会を
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« 返信 #87 投稿日: 11月 26, 2011, 06:12:13 午後 » |
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「強さとは」
自分という存在は、自身の素晴らしい点、長所と、自分が劣った点、短所をあわせもつ存在ですじゃ。 そこで「短所」と認識し、短所は短所として等身大の自分を認める。 それが「強さ」への第一歩なんじゃろう。
大方の者は、短所を隠そうと背伸びして己を偽ります。 これは虚勢であって己の「弱さ」を声高に主張していることとおんなじなんじゃよ。
短所は短所として認めた上で、己と相談しながら克服していくことが「強さ」なんじゃろう。
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« 最終編集: 11月 26, 2011, 06:15:23 午後 by al-fasa »
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« 返信 #88 投稿日: 11月 26, 2011, 06:14:05 午後 » |
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「あなたはあなた」
タレントの島田紳助の所へ 「紳助さんに憧れて、紳助さんみたいになりたくて」 …と弟子入りを希望する人が多いそうじゃ。 すると紳助は「紳助はもうおるで。芸能界に紳助二人はいらんやろ。どうして自分を磨かん?」と答えるそうじゃ。 茶道、華道などの修行の過程の「守・破・離」 まずは師匠を忠実に真似(守)、そこからアレンジして(破)、新境地を見出す(離)。 師匠の物真似で終わってしまっては評価されない世界ですじゃ。 生き方もしかり。
「あなたは誰にもなれないし、誰もあなたにはなれない」のですじゃ。
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« 返信 #89 投稿日: 11月 26, 2011, 06:18:34 午後 » |
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「わがまま」
誰しも自分が大事じゃから、つい「自分さえ良ければ」という感情を、大なり小なり抱きます。 わがままとは「我が慢心」 「私の心が慢心を抱いている」と自分を客観視して、自らの行動を制することができれば、立派な大人(たいじん)ですじゃ。 しかし、人は往々にして、他人のわがままは許せず批判、糾弾しますが、結構自分のわがままは許してしまっている。 こういうひとは大人(おとな)。文字通り(体が)大きな人にすぎませんのじゃ。
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