(つづき)
臨ズー
1502着
しかし、時刻表にはない臨時停車で、しかも、中線(ホームなし)に停車。
停車から30分たっても発車せず。このときはまだ「臨時列車の宿命?」と思っていました。
ところが、停車から60分たっても発車せず。これには「参ったな~西安まで3日間かかってもおかしくないな」と思いました。
1620頃、硬座車に交代しました。
すると、放送が…「…機関車の故障により、60分遅れています。列車長と全列の職員が、鉄道部門を代表してお詫びを申し上げます…」
どうも、硬臥車(5号車)の放送が止まっていたみたいです。
5分おきに、放送が繰り返されます。言ってることは同じです。時刻表の欄外に掲載されている「遅延の7類型」といった内容のことも流していました。途中から、曰く「気休めに」と東北人のコントを流し始めましたが、車内はしらけムード。とくに、淄博で降りようとしていた人たちは、あと20分ほどで到着というところで抑止されているので、「ここでおろしてくれ」と列車員に頼む人もいました(当然、列車員はおろしませんでした)。
この間、多数の列車を見ることが出来ましたが、個人的には、こちらの方が鉄にとってはいい気休めになりました。
また、機関車の故障ですが、「試風」が繰り返しおこなわれていたので、ブレーキ系統の故障だったのではないかと推測しています。放送や列車員からは、故障の詳細についての説明はありませんでした。
1656 代走らしきDF4が着回し線を追い越してゆきました。
1702 ようやく発車です。じつに、120分もの長い間抑止されていました。
そういえば、この停車中、途中からトイレ解禁となりました。(120分も「有人」だったらいくらなんでも暴動が起こりかねません
)
淄博
1725 着
1726ごろ K172、向かいのホームに停車。一部時刻表で冷房化されたと記述がありましたが、まったくそんなことはなく、いまだに緑皮でした。ただ、わたしが以前乗車していた頃とは違い、22(B)は減少し、25B主体の編成となっていました。
1730ごろ 博山発の普客、到着。
最近の慢車の定番、6両編成で、概算で100ないし150名程度が降りてきました。やはり運賃の安さは魅力なのでしょうか。よくもこんなにつかう人がいるものです。駅周辺にそのまま散ってゆく人も10名程度いました。
(つづく)