Borgen様
文中あまり触れていませんが,非常に寒かったです。特に,夜になるにつれ,窓が勝手に凍ってゆくのは,初めての体験でした。リニューアル窓のばあい,2層ガラスの性能はやはり発揮されているようで,ガラス本体は全く凍ったり結露したりしないのですが,なにぶん可動窓ゆえ,フチの隙間はいかにも防ぎようがないようで,フチの金属,ゴム,ガラスの端の部分は車内の水蒸気を拾ってあっという間に白く凍ってゆきました。
斉斉哈爾車では,短距離用の編成は,可動部に透明ガムテープを貼って窓を施錠していました。長距離運用の編成では,詳細は車内を見ていないので不明ですが,窓全体を,透明なシートでおおっている様が,車外からうかがえました。防寒対策は苦労しているようです。
ただ,これが落とし穴で,冬の東北の非空調車両では,窓が開かないので,これが非常につまらないのです。今回,つまらないと感じて漠河行きをやめた大きな原因の一つも,窓が開かないので初歩的な編成写真さえ撮れなかったということです。このあたりは,窓が開く時期の訪問がずっといいと思いました。
はいらーある様
林海の21?22?型,おそらくもう何年かはあると思うので,じき探訪しようかと思っています。車番は消えているようでした。車端部に黄帯ということで,CAが思い当たるのですが,窓配置からしてCAではなかったので,やはり謎です。22型の初期車には,妻面にリブはあったのでしょうか。このへん,手元に有力な資料が無く,わかりません。
DF4は,今回,出会ったら即撮影をしていました。以前に比べると,相当少なくなっているのは確かだと思います。以前なら「またか」ですが,いまや「おっ,珍しいな」という機関車になっていると感じます。また,本務機についているものについても,文中でも触れましたが,ひどくぼろぼろになっている車両が目立ちました。おそらく,廃車目前で塗装の補修などをしていないのだと思います。
おっとっと様
おそらく時刻表に乗っている中でほぼもっともDEEPな列車だろうということで数年来期待して,かなり意気込んでいったのですが,窓が開かないのと一面の白樺林とで飽きてしまい,あまり満足できる「レポート」になっていないのが申し訳ない限りです。
22型にはニス塗りの時代があったのですね。最近,リニューアル車がどんどん増殖してきて,青格子はもちろん,木目パネルのYW22などもう相当探さないと見られなくなった気がします。急速に,古き良き中国の列車の旅が遠のいていることを感じます。秦皇岛製の重くて開かないくせにすきま風がひどい窓に悩まされた硬座の旅,あの今にも落っこちそうなふにゃふにゃ緑ベルトにまもられた硬臥の旅ももはや遠い過去のことのようです。鉄道博物館の22型を見て「北京人は懐古趣味だなー」などと笑っていたのはほんの数年前のことで,ほんとうに早いものです。
あとは,やはり中国の鉄道車両は劣化が早いですね。25Gなど,もうぼろぼろになっている車体をよく見かけます。塗装ぼこぼこ,とくに連結部,デッキに劣化が現れやすいようです。日本では,未だに60年代製造の111・113系が50年ランナーとして曲がりなりにもぴかぴかの塗装(広島では一部ガムテープで補修されていますが)で走っているのを思うと,やはり品質が悪いのかなーと思います。なぜドアキャッチャーがことごとくひんまがってつかいものにならなくなってる! なぜドアの立て付けがことごとく悪い! …今回の道中でも何度も思いましたが,中国の工業というのは,上の方の電子的なものばかり発展する一方で,こういう基礎的な工作がまだまだだと思います。メッキすらひどい品質ですから…。
「青格子」にしても,たしかに,おっしゃるとおり,80年代後半~90年代の製造だろうと思います。貫禄ありすぎだろ(笑)と思ってしまいます。
「雷鋒」はまさに黒い気分になりたくて訪問を企図しました。
やはりそうなのですね。ぜひ次回行ってみたいと思います。いつか展示内容が大幅に変わるような「時」が来る前に。